夕顔の帖 十四 空蝉、伊予に下る
(現代語訳)
伊予のスケは十月の初日に任地へと旅だった。ゲンジの君は「女官たちも一緒に旅立つのだろう」と心づくしのはなむけをする。他にも、こっそりと手の込んだ細工を施した櫛や扇を数多く、道中で奉納する手間をかけさせた祓え幣を贈り、あの薄い衣を一緒に返した。
巡り会うときの形見だけかと思っても涙で袖が濡れる夏服
と一首詠んだ。手紙の詳細を説明するのも煩わしいので、いつもの通り省略するのだが。届けた使者は帰ってしまったが、空蝉は弟を伝令にして薄い衣の返歌をした。
抜け殻を返して貰う夏服の夏は戻らず夏の蝉鳴く
「よくよく考えれば、あり得ない執念で拒絶し続けた女だったな」とゲンジの君は思い続けるのだった。今日は冬の立つ日である。それらしく時雨れて空も寂しげだ。ゲンジの君は放心しながら、一首詠んだ。
去る人も別れる人もそれぞれに道が分かれて秋の終わりは
こんな隠れた恋は、やるせないものだと身に沁みて知ったのだろうか。このような醜態を必死に隠しているが可哀想だったので、何も書かないようにしていたのだが「どうしてミカドの息子だからと言って、そのスキャンダルを知るものまでが揉み消して、崇め奉っているのだろう」などと、この物語を絵空事だと言い出したので仕方なく書いた。口が軽いと言われたら元も子もないのだが。
(原文)
伊予介、神無月の朔日ごろに下る。「女房の下らんに」とて、手向け心ことにせさせたまふ。また内々にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる櫛扇多くして、幣などわざとがましくて、かの小袿も遣はす。
逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな
こまかなる事どもあれど、うるさければ書かず。御使帰りにけれど、小君して小袿の御返りばかりは聞こえさせたり。
蝉の羽もたちかへてける夏衣かヘすを見ても音はなかれけり
思ヘど、あやしう人に似ぬ心強さにてもふり離れぬるかな、と思ひつづけたまふ。今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空のけしきいとあはれなり。ながめ暮らしたまひて、
過ぎにしもけふ別るるもふた道に行く方知らぬ秋の暮かな
なほかく人知れぬことは苦しかりけり、と思し知りぬらんかし。かやうのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて、みなもらし止めたるを「など帝の皇子ならんからに、見ん人さヘかたほならず物ほめがちなる」と、作り事めきてとりなす人ものしたまひければなん。あまりもの言ひさがなき罪避り所なく。
(註釈)
1 幣【ぬさ】
・旅の際、紙または衣を細かく切って道祖神に奉るもの。