桐壺の帖 三、桐壺更衣死す。そして葬送。

(現代語訳)
 その年の夏、ミカドの子を産んだお姫様は御息所と呼ばれるようになった。御息所は体調が芳しくなく実家に帰りたいのだが、ミカドが許してくれない。ここのところ病気ばかりしているので「いつものことだ」と思っているミカドは「もう少しここで休んでいなさい」と言うのだが、どんどん衰弱し、一週間も経たないうちに重体になった。母親の北ノ方が泣いて懇願したので、やっと里帰りさせてもらう。こんな時でも、どんな意地悪をされるかわからないので、息子を置いて夜逃げのように宮中を出る。この限りある世界はミカドでも思い通りにならない。引き留めるわけにもいかず、ゆっくり見送ることもできない寂しさにミカドは胸が痛くなるのだった。あんなに色っぽく、可愛かった彼女が、酷く痩せ細った姿で深く思い悩み、何も言わず暗闇にまみれていくのを見ると、何もかもどうでもよくなってくる。ミカドは泣きながら、あれこれ約束するのだが、彼女には返事をする力が残っていない。虚空を見つめ、消えそうな姿で夢見るように横たえている。ミカドは車で里帰りを許したが、部屋に入って彼女の姿を見ると恋しくてどうしてもここから出したくなくなるのだった。

 「あの世への旅でも一緒に行こうと愛し合ったのだから、私だけこの世に捨てて行くことはできないはずだ」

と、ミカドが駄々をこねるので、彼女も悲しみに暮れて、

 「この命の限りの切なさに 死にたくないのあなたといきたい
 でも最初からこうなるってわかっていたわ」

と、切れ切れに辞世の短歌を詠んだ。まだ言いたいことがありそうだが、とても苦しく辛そうで、ミカドは「このまま看取ってあげたい」と思うのだが、

 「実家の方で今日からお祈りが始まります。今夜から相当な修行を積んだ僧が来るのです」

と、催促されて仕方なく見送る。胸がつぶれる思いでギラギラと目が輝いたまま眠れず、夜が終わった。

 様子を見に行かせた使者が帰るまで待てず、ミカドは「心配で仕方がない」と弱音を吐いていたが「昨夜未明に息を引き取りました」と、実家の人々が泣きじゃくっていたので、使者も落胆して帰ってきたそうだ。それを聞き、ミカドは気が触れたようになって部屋から出てこない。それでも彼女の子供だけは、このまま置いて顔を見ていたいのだが、そうもいかず、彼女の実家へと向かわせる。大人たちが周囲かまわず泣き、父親まで涙を流しているのを見て息子は、何も知らないまま不思議そうにしている。ありがちな親子の死に別れですら悲しいのだが、こんな別れ方は言葉にならない。葬式には決まりがあるので、普通のやり方で葬った。それでも母の北ノ方は、「私も同じ煙になって空気に溶けてしまいたい」と泣き続ける。葬列の女官の車に後から乗り込み、愛宕斎場でしめやかに葬儀が行われている最中に到着したが、その心は計り知れない。空っぽになった亡骸を見ては、

 「亡骸を見ていると生きている娘の姿がちらついて仕方ないから、灰になっていくのを見て諦めます」

 と、殊勝なことを言うのだが、車から落ちるのではないかと思うほど取り乱している。「やっぱり心配していた通りになった」と周囲の人は取り扱いに困った。宮中から伝令が参列し「三位の位を贈ります」と弔文を読み上げる声が斎場に涙を誘う。ミカドが「女御と呼ばれるようにしてあげたかった」と嘆き、悔しさと無念から、一階級昇進させたのだった。こんなことにも文句を言う人が多いのである。それでも、優しい心の持ち主は、彼女の美しさを褒め、素直で優しい性格を今さらながらに偲ぶのだった。「亡くなってからその人が恋しくなる」という短歌は、こういう心境で詠まれたものだろう。

 それから、時間だけが頼りなく過ぎ去った。ミカドは、法事にも気遣いまめまめしく使者を送った。時間が経つほど悲しみが増してくるので、どの妾とも添い寝をせず、ただ涙を流し放心していた。そんなミカドの姿を見ると、すっかり秋めいて誰でも湿っぽい気分になってしまうのだった。「何という愛し方だこと。死んでまで人の心にまとわりつくなんて」など、第一王子の母、弘徽殿は、いつまでも根に持ちチクチク愚痴っている。ミカドは第一王子をあやしていても、あの光輝く子のことを思い出してしまい、気を許している女官や乳母などを遣いに出し、様子を報告させた。

 

(原文)
 その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなんとしたまふを、暇さらにゆるさせたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をば止めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。限りあれば、さのみもえ止めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつ、ものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思しめされず、よろづのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、御答へもえ聞こえたまはず。まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色にて臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。

 「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりともうち棄てては、え行きやらじ」

とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、

 「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり、いとかく思ひたまへましかば」

と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ、と思しめすに、

 「今日はじむべき祈祷ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」

と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。

 御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使も、いとあへなくて帰り参りぬ。聞こしめす御心まどひ、なにごとも思しめし分かれず、篭りおはします。皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の隙なく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを。よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に、慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。むなしき御骸を見る見る、

 「なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなん」

と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々もてわづらひきこゆ。内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来て、その宣命読むなん、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても、憎みたまふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、さま容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなうそねみたまひしか、人がらのあはれに、情ありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかるをりにやと見えたり。
 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにも、こまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方々の御宿直なども、絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などには、なほゆるしなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こしめす。


(注釈)
1 御息所
 ・ミカドの子息の母親になった、女御更衣の尊称。

2 輦車の宣旨
 ・人力車に乗って宮中の門を出入りすることを許すこと。東宮親王、女御、大臣、大僧正などの高い身分に許された。

3 愛宕
 ・平安遷都の際に定められた斎場。

4 三位の位
 ・宮中階級の三番目で、上達部と呼ばれる。(一・6)

5 弘徽殿
 ・【こきでん】ミカドの住む清涼殿の北にある建物で、ここでは第一王子の母親を指す。