桐壺の帖 六、北ノ方の死。ゲンジの事始め。ゲンジと占い師。

(現代語訳)
 あの北ノ方は、「何を慰めに生きていけばよいのか」と塞ぎ込み「娘のいるところを訪ねたい」と祈った。そして、願いが叶ったのかポックリと逝った。ミカドは、これを深く悔やむ。若君も六歳になったので、今度は何が起こったか理解し、悲しくて泣いた。生前、北ノ方も、「長く自分になついた孫を残して、この世をオサラバするのは、とても悲しい」と何度も繰り返していたのだった。そして若君は、宮中に移住することになった。七歳になったので読み書きを始めたのだが、これまた空前絶後の賢さで、恐怖すら覚える有様だ。

 「今では誰も息子を憎むことはできないはずだ。母君が亡くなった後だけでも可愛がってあげなさい」

とミカドは、弘徽殿に行くときにでも手を引いて、簾の向こうへも連れて行く。血に飢えた武士や宿敵だとしても、目にしたら顔がほころんでしまう容姿なので、弘徽殿女御も知らんぷりはできないのだ。弘徽殿女御には二人の娘がいるのだが、比べものにならない美貌である。他の妾にしても、この若君には気を許す。こんな小さな子が色気と存在感をばらまいているので、一緒にいると楽しく「遊び相手にはもってこいだ」と誰もが思っている。勉強をさせても、一般教養などは朝飯前で、琴や笛を演奏すれば空をも震わせる天才っぷりである。一から十まで教育して詰め込んだら、これまた悪い冗談になってしまうぐらいの逸材なのだった。

 時を同じくして、外国人が宮中に訪問していた。ミカドは、その中に有名な人相見がいると聞き、宇多天皇の仕来りもあることなので、お忍びで迎賓館に息子を向かわせた。付き添いの右大弁を保護者だということにして連れて行くと、人相見は驚き、首を傾げてばかりだ。

 「国民から父と慕われ、帝王になる相をお持ちです。しかし、そうなれば国を惑わし、本人も苦労するでしょう。政治の世界で重職について裏方仕事をするようなお方でも御座いません」

などと言う。右大弁もなかなかの博識であるから、今回の談義はかなり面白がった。そして、詩の創作をし合うようになる。外国人が、今日か明日かに帰ると言う頃に「こういう人間離れした人と会えたことが嬉しく、サヨナラしなくてはならいと思えば余計に悲しくなる」と、技巧を凝らして漢詩を作ったので、若君も負けずに感情を詰め込んだ詩を返した。外国人は、嫌というほど褒め称え、豪華なプレゼントをする。お礼にと、ミカドも多くの贈り物を届けた。ミカドはこの出来事を心にしまっておいたのだが、東宮の祖父である大臣などは「何か良からぬことを考えているに違いない」と深読みしているようだ。ミカドは悩みに悩み、日本の術師に占わせて既に結論を出していた。やむなく息子の皇族入りを断念していたので、この外国人を本物だと思った。そして「親族の保護のいらない身分の方が潰しが利く。自分の天下もいつまで続くかわからないのだから、家来に下して朝廷を守り立てたほうが将来のビジョンも明るい」と冷静になり、学問の道を本格的に歩ませた。それでも、特別に優秀なので一般人にするのは勿体ないが、皇族となれば、世の中からあらぬ疑いをかけられそうな状況である。占星術に詳しい人物に聞いても同じ結果なので、やはり息子にゲンジの姓を与えることに決めたのだった。


(原文)
 かの御祖母北の方、慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむ、と願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。皇子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつりおく悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始などせさせたまひて、世に知らず聡うかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。

 「今は誰も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」

とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子たち二所、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊びぐさに、誰も誰も思ひきこえたまへり。わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲ゐをひびかし、すべて言ひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

 そのころ、高麗人の参れるなかに、かしこき相人ありけるを聞こしめして、宮の内に召さむことは、宇多帝の御誡あれば、いみじう忍びて、この皇子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。

 「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天の下を輔弼くる方にて見れば、またその相違ふべし」

と言ふ。弁も、いと才かしこき博士にて、言ひかはしたることどもなむ、いと興ありける。文など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくあり難き人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへを、おもしろく作りたるに、皇子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈物どもを捧げたてまつる。おほやけよりも多くの物賜はす。おのづから事ひろごりて、漏らさせたまはねど、春宮の祖父大臣など、いかなることにかと思し疑ひてなんありける。帝、かしこき御心に、倭相を仰せて思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、相人はまことにかしこかりけり、と思して、無品親王外戚の寄せなきにては漂はさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人にておほやけの御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば、世の疑ひ、負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に勘へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。


(注釈)
1 読書始
 ・後続が初めて日本語の読み方を教えられる儀式。

2 宇多帝の御誡
 ・寛平御遺誡のことで、宮中においての仕来りなどが書かれている。

3 鴻臚館
 ・外国の来賓をもてなす迎賓館のこと。

4 無品親王
 ・親王で「品」の位を持たない人。

5 宿曜
 ・仏僧の伝えた天文学で、星の位置で吉凶を判断する占い。

6 源氏
 ・皇族が大臣に下ると源氏の姓を名乗るのが当時の通例であった。