桐壺の帖 七、藤壺女御の入内。

(現代語訳)
 季節が巡り、年月を経ても、ミカドは御息所を忘れられない。取り巻きたちは「ミカドの心の隙間を埋めよう」と、それなりの女性を連れてくるのだが「あの人の代わりは、この世にいないのだ」と言って、誰とも会いたがらなかった。そんな折、「先のミカドの四女で、評判の美女がいる」と噂が立った。母君が過保護にしている箱入り娘なのである。ミカドの家政婦である典侍は、先代から仕えているので、この母君をよく知っていた。御殿にも親しく訪問し仲が良かったので、このお姫様の顔を幼少期から見ている。

 「宮中に三代仕えた私ですが、亡くなった御息所に似た方には、ついぞお目にかかることがありませんでした。でも、あの后の宮のお姫様は違います。大人になってからは、まるで御息所の生き写しのようなのです。あんな美人は滅多にいません」

と言うものだから、ミカドは「本当だろうか?」と浮き足立ち、何とか後宮に呼びたいと、あの手この手のモーションをかけるのだった。それを受けた母君は、

 「なんと恐ろしい。皇太子の母親が性悪で、桐壺更衣がボロボロになって死んだではありませんか」

と身の毛を弥立てて嫌がったのだが、しばらくして、その母君も死に、お姫様が一人寂しく暮らすようになった。ミカドは「この機会に」と、

 「後宮においでなさい。私の可愛い女たちと同じように可愛がりましょう」

と、下心見え見えのもてなしぶりである。執事や家政婦、親戚一同、兄の兵部卿親王までもが「こんな所でしみったれているよりも後宮で暮らした方が楽しいだろう」と説得し、ハーレムに移住させたのだった。このお姫様は、藤壺という。本当に見た目や仕草が、亡き人に恐ろしいまでそっくりだ。この人は生まれが良かったので、世間から羨望の的で、誰からもいびられることなく平和に暮らして、何の不満もない。亡き御息所の場合は、周囲の人が認めていなかった上に、ミカドが特別扱いしたから問題になったのだ。ミカドも、あの恋を忘れたわけでではなかったが、だんだん心移りし、心の隙間を埋めるようになった。男心とはこういうものだから仕方ない。

 ゲンジの君は、いつでもミカドの側を離れないので、しょっちゅう通われる藤壺も、いちいち恥ずかしがって隠れるわけにはいかない。ここでは、どの妾たちも自分が人より不細工だと思うわけがない。確かに綺麗どころばかりだが、熟女の中でただ一人、若くて愛らしい藤壺は、ゲンジの君を見つけると照れながら隠れてしまう。ゲンジの君は、それを覗き見てドキドキする。母親の記憶すらないゲンジの君だが、典侍が「とてもよく似ている」と言うので、子供心にも懐かしい気持でいっぱいになり「いつも側にいて甘ったれたい」と妄想するのだった。この二人を同等に愛しているミカドは、

 「そう冷たくするな。なぜだかあなたは息子の母親に思えて仕方ない。悪い子だと思わないで可愛がってくれ。息子は目や顔が母親似だから、あなたとは親子のようだ」

などと言い、ゲンジの君も背伸びいっぱい、花や紅葉の美しさを理由に愛情のカケラをばらまいたりする。そういう微笑ましい光景を目にした弘徽殿女御はヘソを曲げ、藤壺との関係にもヒビが入った。そして、かつての憎しみをくすぶらせ、ゲンジの君を「忌々しいガキだ」と思うのだった。ミカドが「滅多にいない女だ」と見とれる普通に美人な藤壺でも、ゲンジの君の前では色褪せた。そんなゲンジの君を、世間の人は「ヒカル君」と呼んだ。そして、藤壺も同様にミカドに愛されたので「輝く日の宮」と呼ばれた。


(原文)
 年月にそへて、御息所の御ことを思し忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、

 「亡せたまひにし御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕に伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になん」

と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。母后、

 「あな恐ろしや、春宮の女御のいとさがなくて、桐壼更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」

と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。心細きさまにておはしますに、

 「ただわが女御子たちの同じつらに思ひきこえむ」

と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見たち、御兄の兵部卿親王など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべくなど思しなりて、参らせたてまつりたまへり。藤壼と聞こゆ。げに御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。かれは、人のゆるしきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

 源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやはある。とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや、とおぼえたまふ。上も、限りなき御思ひどちにて、

 「な疎みたまひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なんする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。頬つきまみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」

など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ。藤壼ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。


(注釈)
1 兵部卿
 ・兵士、軍旅、城郭、武器などの軍事を司る役所の兵部の長官のこと。

2 藤壼
 ・飛香舎のことで、庭に藤が植えてあったことからこう呼ばれる。清涼殿の北側、弘徽殿の西側に位置し、かっては皇后の部屋だったこともある。