桐壺の帖 八、ゲンジの元服と結婚。藤壺女御への淡い恋心。
(現代語訳)
この愛らしいわらべスタイルも見納めかと思えば勿体ないが、十二歳になると元服である。ミカド自ら指揮を取り、元服式の限りを尽くした。去年の春に皇太子の元服式が紫宸殿であったが「それにも負けるな」との命令だ。
「役所が祭礼の準備や食物の調達をすると事務的になる」
からと、特命があって、とにかく派手に開催された。清涼殿の会場に椅子を置き、かんむりをかぶる者の席とかんむり係の席が向かい合わせに設置される。午後四時になるとゲンジが席に着いた。ツインテールの髪型や顔立ちを変えてしまうのが惜しまれる。断髪係は大蔵大臣である。つやつやと光る黒髪をそぎ落とす姿が痛々しいので、ミカドは「亡くなった人が見たら、どんな気がするだろう」と偲ばれて、じっと涙をこらえるのだった。冠を乗せて貰うと控え室に戻り、お色直しである。階段を下り、東庭で喜びの舞をする姿は参列者の涙を誘った。ミカドはなおさらで、過去の記憶を蘇らせて感傷に浸っている。「まだ若いゲンジが元服すれば見劣りするのではないか」と心配していたのだが、開いた口がふさがらないほど美しく変貌した。かんむり係は左大臣で、その后宮は皇族だった。二人がもうけた一人娘は、箱に入れて育てられている。「皇太子の嫁に」という縁談を断ったのは、ゲンジの君に差し上げたいと考えていたからなのだった。ミカドの意向を聞いてみると「息子が成人した後に面倒を見る人もいないので、元服の夜の添い寝に姫君を」と要望があり、左大臣もそのつもりでいた。
参列者は宴会場に移動し着席した。酒宴が始まり、ゲンジも皇族の末席に座る。左大臣が新婚初夜の話をほのめかすのだが、思春期なので恥ずかしがってとぼけている。壇上から司会が「大臣はこちらに」と呼ぶので、それきりになった。壇上では祝儀を宮中の女官たちが左大臣に取り次ぐ。白い大きな着物に衣装一式、いつもの通りだ。盃を交わすのと一緒に、
かんむりを結んだ仲ならいつまでも姫と結ばれ倶に幸あれ
とミカドの歌が添えられたのは、ゲンジに言い含めているようにもみえる。
かんむりの紫色が褪せぬよう強く結んだ深い縁なら
と左大臣が返歌をし、廊下を下りて庭で舞うのだった。ミカドは特別に左馬寮の馬や、蔵人所の鷹を木に留まらせて贈呈する。屋根の下に並んだ皇族や重職の者たちが、身の程の祝儀を受け取っている。この日の御膳の折り詰めやカゴの果物は、ゲンジの保護者の右大弁が用意した。握り飯から祝儀の入った唐櫃まで、会場からはみ出さんばかりに並べてあり、皇太子の元服式よりも多い。それほど盛大な儀式だったのである。
その夜、左大臣の御殿にゲンジがやってきた。左大臣は前代未聞の婚礼のもてなしで迎える。ゲンジがあまりに可愛らしいので可笑しくてたまらない。お姫様はゲンジを子供扱いし、自分の婿とは思えず、恥ずかしさにいたたまれないでいた。この左大臣はミカドからの覚えがよく、后宮がミカドの兄弟なので相当な権力者である。このたびゲンジを婿にしたので、皇太子の祖父として天下を取り仕切るべき右大臣の権力も失墜しそうな勢いだ。左右の大臣は姫君たちに多くの公家を産ませている。この后宮の息子にも蔵人少将がいる。仲違いをしている左右の大臣だが、蔵人少将の若さと美貌を見初めて、四女の婿に迎えた右大臣は、さすがに炯眼だった。そしてゲンジの君にも劣らぬ特別扱いは両家の繁栄のためでもある。
ゲンジの君はミカドの呼び出しが頻繁なので大臣の屋敷でくつろいでいる暇もない。ひそかに桐壺女御に恋をして、胸が張り裂けそうにな彼である。「あのような人と結ばれたい」と思い詰めているのだが、淡い妄想でしかない。左大臣の姫君は愛らしい箱入り娘だが、この縁組みには違和感があった。ただ一途な少年は思春期特有の悶絶を繰り返す。
(原文)
この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りあることに、ことを添へさせたまふ。一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御ひびきにおとさせたまはず。ところどころの饗など、
「内蔵寮・穀倉院など、おほやけごとに仕うまつれる、おろそかなることもぞ」
と、とりわき仰せ言ありて、きよらを尽くして仕うまつれり。おはします殿の東の廂、東向に倚子立てて、冠者の御座、引き入れの大臣の御座御前にあり。申の刻にて源氏参りたまふ。みづら結ひたまへる頬つき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿くら人仕うまつる。いときよらなる御髪をそぐほど、心苦しげなるを、上は、御息所の見ましかば、と思し出づるに、たへがたきを、心づよく念じかへさせたまふ。かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣奉りかへて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落したまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思しまぎるるをりもありつる昔のこと、取りかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。引き入れの大臣の、皇女腹にただ一人かしづきたまふ御むすめ、春宮よりも御気色あるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御気色賜はらせたまへりければ、「さらば、このをりの後見なかめるを、添臥にも」と、もよほさせたまひければ、さ思したり。
さぶらひにまかでたまひて、人々大御酒などまゐるほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。御盃のついでに、
いときなきはつもとゆひに長き世をちぎる心は結びこめつや
御心ばへありておどろかさせたまふ。
結びつる心も深きもとゆひに濃きむらさきの色しあせずば
と奏して、長橋よりおりて、舞踏したまふ。左馬寮の御馬、蔵人所の鷹すゑて賜はりたまふ。御階のもとに、親王たち上達部つらねて、禄ども品々に賜はりたまふ。その日の御前の折櫃物・篭物など、右大弁なむうけたまはりて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服のをりにも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなん。
その夜、大臣の御里に、源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君は、すこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかし、と思いたり。この大臣の御おぽえいとやむごとなきに、母宮、内裏のひとつ后腹になむおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世の中を知りたまふべき、右大臣の御勢は、ものにもあらずおされたまへり。御子どもあまた、腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将にて、いと若うをかしきを、右大臣の、御仲はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあはせたまへり、劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになん。
源氏の君は、上の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壼の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
(注釈)
1 南殿
・紫宸殿のこと。内裏の正殿で、天皇元服・立太子・節会などの儀式が行われた。
2 穀倉院
・収穫した穀物を管理する役所。
3 引き入れの大臣
・【ひきいれのおとど】元服した男子に冠をかぶせる役。
4 大蔵卿
・大蔵大臣。
5 くら人
・蔵人。天皇の秘書で、事務や庶務を行う。
6 添臥
・【そひぶし】皇太子や皇子が元服した夜に添い寝をした公家出身の姫君。
7 長橋
・清涼殿から紫宸殿までをつなぐ廊下。ここに階段があり、清涼殿の東庭に出る。
8 左馬寮
・【ひだりのつかさ・さまれう】右馬寮のともに馬を司った役所。
9 禄
・祝儀の品
10 折櫃物
・折り詰めの料理。
11 篭物
・かごに入れた果物。
12 屯食
・堅いご飯を固めて丸めたもの。
13 禄の唐櫃
・役人に配る祝儀を入れた唐櫃。