帚木の帖 二、雨夜の品定め。頭中将の女性階級論。

(現代語訳)
 長々と雨が降り続く静寂な夜、後宮を訪ねる人も少なくてゲンジの君の部屋も微睡みかけていた。ゲンジの君が灯りを近くに寄せて読書をしていると、中将が近くの棚にある色とりどりの手紙を引き出して覗きたがる。

 「読まれてもよいものなら見せてあげよう。恥ずかしい手紙があるかもしれない」

と言って、ゲンジの君は見せたがらない。

 「君が女に心を許して恥ずかしいと思う手紙が見たいのさ。よくある普通の文通なら、私のような凡人でもそれなりにやっているからね。恋い焦がれての恨み節だとか、夕焼けの下で待ちぼうけなんていう手紙が読んでみたいんだ」

と、しつこくせがむのだけど、胸に秘めた大切なラブレターだったら、無防備に棚の上に散らかしておくわけがなく、誰にもわからない場所に隠して置くはずなので、この手紙の束は見られてもかまわない二流品なのだった。中将は少しずつ読み始めて、

 「いろんな手紙があるもんだね」

と、邪推をする。「この手紙はあの人だろう。これはあの女かな」などと質問するのだけど、当たっているのもあるし、見当違いな疑いをかけはじめたりもする。それをゲンジの君はおかしく思うのだが、余計なことは言わず、なんだかんだとはぐらかして、手紙を奪って隠してしまう。

 「君の方がいっぱい持っているだろう。ちょっと見てみたいな。そうしたらこの棚も観念して開けるさ」

と言う。中将は、

 「残念ながら見せる価値があるものは無いんだよね」

と誤魔化して、徐々に語り始める。

 「何の欠点もない運命の女というのは、滅多にいるもんじゃないと、ようやくわかってきたよ。うわべだけの感情で取り繕って手紙を書き始め、タイミングよく受け答えるぐらいだったら、巧妙にやってのける女も結構いるけど。だけど、その中から一番の女を選びだそうと思ったら、この女で間違いないという人はまずいないね。自分が知っていることばかり話し散らして得意げで、人を小馬鹿にしている低レベルな女ばっかりだ。親が大切に可愛がっていて、良いところに嫁がせようと箱に入れている娘なんかだと、才能があると大げさな噂が立って話題になるかも知れない。優しくて可愛らしい女の子が遊んでいられる年頃だったら、人真似に琴や短歌の練習をして自然とそれらしくなったりするしね。そんな女の世話を焼く人は、まさか都合の悪いことを言うわけない。向こうの都合で話をでっち上げているのだけど、そんな女がいるわけないと、はじめから疑ってかかるわけにもいかないし、期待して恋愛をしてみたところで、たいていはハズレだったりするよ」

中将の愚痴に、自分の胸の内を見透かされたような気がして、ゲンジの君は身につまされながら笑って、

 「何の才能もない女というのは、この世にいるんだろうか」

と聞いてみる。

 「そんな女がいたら、騙されて求愛する男が馬鹿なんだよ。全く何もできない駄目な女と、素敵な眩しい女は、半々の比率でいると思う。上流家庭に生まれると、召使いにもてはやされてうまく隠蔽されるから素敵に見えるのも当然さ。中流家庭の女となると、人それぞれ性格が違うし、自分の考え方というものを持っているようだから、色々と点数がつけられるね。下流階級の女になると、もう特別に気を遣う必要もないよな」

などと中将が恋愛のエキスパートみたいにしたり顔なので、ゲンジの君も興味津々で、

 「君が言う階級って、どういう基準で上中下って分けるのさ。本当は上流家庭に生まれながら、没落して下流階級に身をやつして人として扱ってもらえない女と、一般人が成り上がって偉そうな顔で家を豪華に飾って威張っている女とを、どうやって区別したらいいんだろう」

と聞いてみる。そんな折、左馬のカミと藤シキブの丞が、物忌みをしているゲンジの部屋にやってきた。二人とも女好きの有名人で口が達者なので、中将は「待ってました」とばかりに、この女の格付けの話に花を咲かせた。当然ながら、きわどい話も出てくるのだった。


(原文)
 つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵の雨に、殿上にもをさをさ人少なに、御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに、大殿油近くて、書どもなど見たまふ。近き御廚子なるいろいろの紙なる文どもを別き出でて、中将わりなくゆかしがれば、

 「さりぬべきすこしは見せむ、かたはなるべきもこそ」

と、ゆるしたまはねば、

 「その、うちとけてかたはらいたしと思されんこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて、書きかはしつつも見はべりなん。おのがじしうらめしきをりをり、待ち顔ならむ夕暮などのこそ、見どころはあらめ」

と怨ずれば、やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御廚子などにうち置き、散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心やすきなるべし、片はしづつ見るに、

 「よくさまざまなる物どもこそはべりけれ」

とて、心あてに、「それか」「かれか」など問ふなかに、言ひあつるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふもをかしと思せど、言少なにて、とかく紛らはしつつとり隠したまひつ。

 「そこにこそ多くつどへたまふらめ。すこし見ばや。さてなん、この廚子も快く開くべき」

とのたまへば、

 「御覧じどころあらむこそかたくはべらめ」

など聞こえたまふついでに、

 「女の、これはしもと難つくまじきはかたくもあるかなと、やうやうなむ見たまへ知る。ただうはべばかりの情に手走り書き、をりふしの答へ心得てうちしなどばかりは、随分によろしきも多かりと見たまふれど、そも、まことにその方を取り出でん選びに、かならず漏るまじきはいとかたしや。わが心得たることばかりを、おのがじし心をやりて、人をばおとしめなど、かたはらいたきこと多かり。親など立ち添ひもてあがめて、生ひ先篭れる窓の内なるほどは、ただ片かどを聞きつたへて、心を動かすこともあめり。容貌をかしくうちおほどき若やかにて、紛るることなきほど、はかなきすさびをも人まねに心を入るることもあるに、おのづから一つゆゑづけて、し出づることもあり。見る人後れたる方をば言ひ隠し、さてありぬべき方をばつくろひてまねび出だすに、それしかあらじと、そらにいかがは推しはかり思ひくたさむ。まことかと見もてゆくに、見劣りせぬやうはなくなんあるべき」

と、うめきたる気色も恥づかしげなれば、いとなべてはあらねど、我も思しあはすることやあらむ、うちほほ笑みて、

 「その片かどもなき人はあらむや」

とのたまへば、

 「いとさばかりならむあたりには、誰かはすかされ寄りはべらむ。取る方なく口惜しき際と、優なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数ひとしくこそはべらめ。人の品たかく生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはひこよなかるべし、中の品になん、人の心々おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下のきざみといふ際になれば、ことに耳立たずかし」

とて、いとくまなげなる気色なるも、ゆかしくて、「その品々やいかに。いづれを三つの品におきてか分くべき。もとの品たかく生まれながら、身は沈み、位みじかくて人げなき、また直人の上達部などまでなり上り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる、そのけぢめをばいかが分くべき」

と問ひたまふほどに、左馬頭、藤式部丞御物忌に篭らむとて参れり。世のすき者にて、ものよく言ひとほれるを、中将待ちとりて、この品々をわきまへ定めあらそふ。いと聞きにくきこと多かり。


(注釈)
1 大殿油(おほとなぶら)
 ・宮中や貴族の御殿にともす油の灯り。

2 廚子
 ・調度品、書画などを乗せる二段の棚。