帚木の帖 七 左馬のカミの体験談 (木枯らしの浮気女編)

(現代語訳)
 「同じ頃、もうひとり関係があった女がいたんだ。生まれもそこそこで、心遣いもあって、詠む歌、書く文字、鳴らす爪、手の仕草や、話す言葉、みんな合格点が付けられそうだった。見た目も悪くなかったから、さっき話した嫉妬ばかりしている女を妻にして、この人の所には秘密に通っていたんだけど、当時はドキドキしたなあ。あの女が死んでから、なるようになれで、可哀想に思っても死んだ人は生き返らないから、この女の所へ頻繁に通うようになったんだけど、ちょっと派手でさ、お色気たっぷりだから、なんだか嫌らしくて、やっぱり運命の人じゃないって思ったよ。逢瀬の回数が減った頃、密かに心を通わせる新しい男ができたようなんだ。十一月、月が気持ちよさそうに浮かんでいる夜、宮中から帰ろうと思ったら、友達の役人がきたので車に乗せてやった。父の大納言の家へ泊まるつもりだったけど、友達が、

 『今夜は僕を待っている女がいるから、気になって仕方ない』

と言うんだ。僕の女の家も同じ道筋にあったから覗いてみたよ。

 壊れた土の壁の隙間から見える水面にキラキラと月影が浮かんでいる夜だから、僕も魔が差したんだ。友達を尾行することにした。ひどい浮かれ足で、なんと僕の女の家へ歩いていく。門の近くにある縁側に腰掛け、わざとらしく月を見ている。菊の色に染まった庭に、紅葉が風に舞ってちりばめられる。こんな夜は、人恋しいね。友達は懐から笛を出し、吹いては謡い、謡っては吹く。『飛鳥井に泊まろうかな。影が綺麗だね』なんて謡っていやがる。用意が良いことに家の中からは、甘美な和琴の音が聞こえてくる。琴の音が歌とうねり合うから、僕は聴き惚れてしまったよ。こんなメロディは、女がカーテンの向こうで柔らかく爪弾くとハイカラで、透き通った月夜なら尚更だね。友達は酔いしれたようにカーテンに近寄って、『庭に落ちている紅葉は、あなたが誰にも踏み荒らされていない証拠だね』なんてからかう。そして菊を手折って、

 琴のおと 月のかげ 響き合う家 誰も気づかず素通りした人

『僕だからあなたを探し当てたんだ。駄目かな?』と一首詠んでから『もう一曲聴いてみたい。恥ずかしがらずに弾いてごらん』なんて、とても嫌らしい。女も甘えた声で、

 木枯らしを吹かせる笛の激しさを琴の言葉じゃ押さえきれない

って色気たっぷりに返す。僕が苦虫を噛みながら覗いているのも知らずに、十三弦の琴を楽しそうに弾きはじめた。モダンな爪音は悪くないんだけど、僕はいたたまれないよ。時々言葉を交わす後宮の女たちが色っぽくて節操がないのは、それっきりの恋だから構わないけど、たまたまでも妻として通う女がこんなんじゃ心配だね。あまりに発展家なので、この夜のことをきっかけに別れた。

 若いときの話だけど、この二人の女の体験で、色っぽ過ぎる女は危険で信用できないと悟ったな。僕もいい年だから、あのとき以上にそう思っているんだ。若い君らは、折ったらこぼれ落ちる萩の雫や、手に取れば消えそうな笹に落ちた雪の結晶みたいに、セクシーで、儚くて、スキャンダラスな女のケツばっかり追っかけてるだろうけど、あと七年もしたら身に染みてわかるよ。虫けらみたいな僕の忠告だけど、色っぽくて男好きする女は怖いぞ。大失敗して間男になったりするからね」

と左馬のカミの話は説教じみてきた。中将はうなずいてばかりだ。ゲンジの君は、笑いながら「さもありなん」と思っているのだろう。そして、

 「どっちの話も人聞き悪い。女は怖いね」

と言って、ますます笑い出す。


(原文)
 「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み走り書き、かい弾く爪音、手つき口つき、みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき。見るめも事もなくはべりしかば、このさがな者をうちとけたる方にて、時々隠ろへ見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。この人亡せて後、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく、艶に好ましきことは、目につかぬところあるに、うち頼むべくは見えず、かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心かはせる人ぞありけらし。神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、ある上人来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人言ふやう、

 『今宵人待つらむ宿なん、あやしく心苦しき』

とて、この女の家はた避きぬ道なりければ、

 荒れたる崩れより、池の水かげ見えて、月だに宿る住み処を過ぎむもさすがにて、おりはべりぬかし。もとよりさる心をかはせるにやありけん、この男いたくすずろきて、門近き廊の簀子だつものに尻かけて、とばかり月を見る。菊いとおもしろくうつろひわたり、風に競へる紅葉の乱れなど、あはれと、げに見えたり。懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし、影もよしなど、つづしりうたふほどに、よく鳴る和琴を調べととのへたりける、うるはしく掻きあはせたりしほど、けしうはあらずかし。は、女のもの柔かに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清く澄める月に、をりつきなからず。男いたくめでて、簾のもとに歩み来て、『庭の紅葉こそ踏み分けたる跡もなけれ』など、ねたます。菊を折りて、

 琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける

『わろかめり』など言ひて、『いま一声。聞きはやすべき人のある時、手な残いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、女、声いたうつくろひて、

 木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべきことの葉ぞなき

と、なまめきかはすに、憎くなるをも知らで、また箏の琴を盤渉調に調べて、今めかしく掻い弾きたる爪音、かどなきにはあらねど、まばゆき心地なんしはべりし。ただ時々うち語らふ宮仕人などの、あくまでざればみすきたるは、さても見る限りはをかしくもありぬべし、時々にても、さる所にて忘れぬよすがと思うたまへんには、頼もしげなく、さし過ぐいたりと心おかれて、その夜のことにことつけてこそ、まかり絶えにしか。

 この二つのことを思うたまへあはするに、若き時の心にだに、なほさやうにもて出でたることは、いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。今より後は、ましてさのみなん思うたまへらるべき。御心のままに折らば落ちぬべき萩の露、拾はば消えなんと見ゆる玉笹の上の霰などの、艶にあえかなるすきずきしさのみこそをかしく思さるらめ、いまさりとも七年あまりがほどに思う知りはべなん。なにがしがいやしき諌めにて、すきたわめらむ女に心おかせたまへ。あやまちして見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」

と、戒む。中将、例のうなづく。君すこしかた笑みて、さることとは思すべかめり。

 「いづかたにつけても、人わるくはしたなかりけるみ物語かな」

とて、うち笑ひおはさうず。


(注釈)
1 大納言
 ・「この大納言は馬頭の父であろうか」と谷崎源氏に記されている……。

2 影もよし
 ・催馬楽、飛鳥井の一節で、「飛鳥井に、宿りはすべし、やおけ、陰もよし、み水も寒し、みまくさもよし」とある。

3 つづしりうたふ
 ・笛を吹きながら、一節ずつ、ぽつぽつと笛の音の合間に謡うこと。

4 和琴
 ・六弦の琴。

5 律の調べ
 ・短調に当たる音階の決まりで、当時は今っぽかった。

6 庭の紅葉こそ
 ・(古今集、秋下 詠み人知らず) 秋は来ぬ紅葉は宿に降りしきぬ道踏みわけて訪ふ人はなし

7 箏の琴
 ・箏、琴、和琴を「こと」と呼ぶが、現在「こと」と呼ばれている柱を立てて爪で弾く十三弦の琴が「箏の琴」である。

8 盤渉調
 ・ロ調にあたる調性。

9 二つのこと
 ・嫉妬女と浮気女を対比している。