帚木の帖 五 左馬のカミの女性論(三)

(現代語訳)
 「もう家系なんてどうでもいいや。容姿も我が儘を言うのはやめよう。素直で優しい女が、面倒なへそ曲がりじゃなければ、それが運命の人かもね。おまけに、ロマンチックな心を持っていたら、なお結構。少し物足りなくても我慢しなくちゃ。心の支えになると信じた人なら、女の心得は後からでも何とかなる。艶やかに恥じらうカマトト女が、浮気を我慢して平気そうにしているんだけど、胸につかえた不満が溢れ出して、非道い事を口走り、悲惨な歌を詠み、当てつけがましく形見を残して、山奥や淋しい海辺に逐電したとしよう。ガキの頃は、女官が物語を読むのを聞いて、切羽詰まった女心に同情して泣いたもんだけど、今思えば薄情な演技だよね。辛くて五里霧中だからと言って、愛情いっぱいの男を置き去りにし、人の気も知らずに家出して、夫を狼狽させて気を引こうとしているんだ。その後はお決まりのコースだな。『深いお考えをお持ちの方だ』なんておだてられて、その気になっちゃうから、尼さん確定だ。決心したときは自分でも心が透き通っているような気がして清々しているんだろう。そのうち友達が『尼になったのね。可哀想』なんて遊びに来たり、吹っ切れず未練タラタラの夫が風の噂に聞きつけて泣き出すと、家の者や婆やが『ご主人様はあんなに優しいのに、もう手遅れだ』なんてチクチク言いはじめる。削ぎ落とした前髪を触って寂しく放心し、泣きべそだ。せっかく耐えていたのに涙がいったん出ちまえば、後は一生泣き暮らす。うじうじ後悔しているばかりで、仏からも『汚い心の持ち主だ』と三くだり半を叩きつけられる。中途半端な出家は、俗世の汚れでベタベタになっているときよりも、変な道に迷いやすいのさ。前世からの腐れ縁で、尼になる前に夫が捜し出して連れ戻したとしても、一度ケチがついたら気まずいだけだよ。それでも何とか連れ添って、いつでも許し合えるのが本当の夫婦だと思うけどさ、こうなっちゃったら、お互いに疑いが芽生えてギクシャクするだけだ。他愛のない浮気心にプンプン怒って離婚届にハンコを押させるのは阿呆のやることだよ。外で浮気をしても、出会った頃の一途な気持ちを思い出せば、運命の人だからと我慢できそうなのに、ちっぽけな嫉妬心で別れる羽目になる。いつでも何でも冷静に、嫉妬しても『知っているのよ』って、遠回しに言うぐらいにしておけばいいじゃん。愚痴をぶちまけても、ふんわり可愛らしく言ってくれたら、不憫で可愛く見えるよ。だいたい浮気っていうのは、妻の心がけ次第なんだぜ。女が束縛しないのは、信頼し合っているように見えて、実は馬鹿にして下さいって言っているようなもんだ。糸の切れた凧みたいにフラフラしているんだから浮気しちゃう。そうだよね」

それを聞き、中将は頷き、口を挟む。

 「今、可愛く優しいと思って好きになった人に浮気の疑いがあったら大変だな。自分が浮気をしないで、相手を大事にしてやったら、向こうもよい子にしていそうなもんだけど、そんなに甘くはないのか。そうだと許せないことがあっても、包容力でカバーするしかないね」

と言って、妹のアオイは浮気なんてしそうにないから、こんな話題にも相応しいと思う。当人のゲンジの君は舟を漕いでいて何も言わないから、じれったくて残念だ。それでも左馬のカミは、女の選びの研究者になって、ますます熱弁をふるう。中将は演説を最後まで聞きたくて、せっせと相手をするのだった。

 「いろんな世界と比べて考えてみろよ。木工細工の職人は、あれこれと器を思ったままに作る。決まった形がない物を、思いつきのデザインで作ったら、格好いいのかも知れない。こんな形もあるのかって、発想の豊かさと斬新なデザインに目移りしたりするね。でも、一生物として使う家具などのデザインや飾りが決まっている物を完璧に作らせたとしたら、人間国宝と普通の職人を比べるのは酷だよ。絵描きにも上手い人は結構いるけど、デッサンだけじゃ誰が上手いのか決められないさ。伝説の蓬莱山とか、時化た海で暴れる魚とか、中国に住む怖い獣とか、鬼だとか、見たこともない架空の物だったら、現実離れの意表を突いた絵を画けば誤魔化せる。でも、普通の山や、川の流れ、近所の家なんかをリアルに置いて、背景は、低い山と深い森を幻想的に重ね、手前の垣根には庭園を絶妙に配置するなんていう場合、巨匠だったら自動的に筆が動くんだ。ただの絵描きには出る幕もないよ。文字でも、何も考えずパラパラと点を伸ばして走り書くと、気取っていて賢そうに見えるね。書道家の丁寧な文字は、見た目にパッとしない。でも、二つを見比べればド素人とは全然違う。小さな芸だってこうなんだ。人の心になると、思わせぶりな誘惑や、見た目の可愛さなんてアテにならないね。そんな経験が僕にもあるんだ。まあ、女たらしな話なんだが聞いてくれよ」

などと顔を近づけるので、ゲンジの君も目を覚ました。中将は関心が募るあまり頬杖をついて、向かい合ったまま硬直している。坊主が世の中の仕組みを教えている説教部屋のようで笑っちゃいそうだが、こうなると誰もが経験した恋の一ページを隠しておけないのだ。


(原文)
 「今はただ品にもよらじ、容貌をばさらにも言はじ、いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼みどころには思ひおくべかりける。あまりのゆゑよし心ばせうち添へたらむをばよろこびに思ひ、すこし後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ。うしろやすくのどけきところだに強くは、うはべの情はおのづからもてつけつべきわざをや。艶にもの恥して、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、心ひとつに思ひあまる時は、言はん方なくすごき言の葉、あはれなる歌を詠みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどに這ひ隠れぬるをりかし。童にはべりし時、女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれに、悲しく、心深きことかなと、涙をさへなん落しはべりし。今思ふには、いとかるがるしくことさらびたることなり。心ざし深からん男をおきて、見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし心を見んとするほどに、永き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。『心深しや』などほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどはいと心澄めるやうにて、世にかへりみすべくも思へらず、『いで、あな悲し、かくはた思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人、来とぶらひ、ひたすらにうしとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落せば、使ふ人古御達など、『君の御心はあはれなりけるものを、あたら御身を』など言ふ。みづから額髪をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、をりをりごとにえ念じえず、くやしきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと見たまひつべし。濁りにしめるほどよりも、なま浮びにては、かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる。絶えぬ宿世浅からで、尼にもなさで尋ね取りたらんも、やがてその思ひ出うらめしきふしあらざらんや。あしくもよくも、あひ添ひて、とあらむをりもかからんきざみをも見過ぐしたらん仲こそ、契り深くあはれならめ、我も人もうしろめたく心おかれじやは。また、なのめにうつろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かん、はたをこがましかりなん、心はうつろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。すべて、よろづのこと、なだらかに、怨ずべきことをば、見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも、憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多くはわが心も見る人からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ、見放ちたるも、心やすくらうたきやうなれど、おのづからかろきかたにぞおぼえはべるかし。繋がぬ舟の浮きたる例も、げにあやなし。さははべらぬか」

と言へば、中将うなづく。

 「さし当りて、をかしともあはれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ大事なるべけれ、わが心あやまちなくて、見過ぐさば、さし直してもなどか見ざらむ、とおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、違ふべきふしあらむを、のどやかに見しのばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」

と言ひて、わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば、君のうちねぶりて、言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと思ふ。馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきゐたり。中将はこのことわり聞きはてむと、心入れてあへしらひゐたまへり。

 「よろづの事によそへて思せ。木の道の匠の、よろづの物を心にまかせて作り出だすも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきざればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りて、をかしきもあり。大事として、まことにうるはしき人の調度の飾とする、定まれるやうある物を、難なくし出づることなん、なほまことの物の上手はさまことに見え分かれはべる。また絵所に上手多かれど、墨書きに選ばれて、つぎつぎにさらに劣りまさるけぢめふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚のすがた、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さてありぬべし。世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家ゐありさま、げにと見え、なつかしく柔いだる形などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山のけしき、木深く世離れて畳みなし、け近き籬の内をば、その心しらひおきてなどをなん、上手はいと勢ことに、わろ者は及ばぬところ多かめる。手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、いまひとたびとり並べて見れば、なほ実になんよりける。はかなき事だにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情をば、え頼むまじく思うたまへてはべる。そのはじめの事、すきずきしくとも申しはべらむ」

とて、近くゐ寄れば、君も目覚ましたまふ。中将いみじく信じて、頬杖をつきて、向ひゐたまへり。法の師の、世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなんありける。


(注釈)
1 額髪
 ・額の両側に短く切ってある髪の毛。

2 蓬莱
 ・中国にある伝説の山。

3 籬
 ・柴や竹を編んで作った垣根。

4 点長
 ・文字を走り書いたとき、点が線になったことを「点長」と呼んだ。また、気取って文字の点や画を長く書くこと。