末摘花の帖 六 ゲンジの君、若紫と絵を描く

(現代語訳)
 ゲンジの君が二条院に戻ると、まだ大人になりきっていない若紫だが、とても美しかった。「同じ紅でも、こんないとしい色もあるのだな」と見つめた着物は、無地の桜色なのだった。柔らかく着こなして澄ましているのが、可愛いばかりである。昔気質の祖母君の躾で、お歯黒もまだつけていなかったので、化粧をさせてみると、目元が鮮やかになったので、凛として美しさが増すのであった。「我ながら、どうしてこんなに可愛い子の側にいないで、どうしようもない女の苦労ばかりしているのだろうか」と反省しながら、いつものように若紫と一緒に人形遊びをした。

 若紫は絵を描いて色を塗っている。あれこれと綺麗に描いた。ゲンジの君も隣で絵を描き加えるのだった。髪がずいぶん長い女を描いて、鼻の頭を紅く染めたりしている。ゲンジの君は、ずいぶんと綺麗に自分の姿が鏡に映っているのを見て、自ら鼻に紅い絵の具を塗りつけてる。こんなに綺麗な顔でさえ、変な色が塗られていると間抜けなのだった。若紫がそれを見て笑っている。

 「私の鼻がこんなになってしまったら、どうしようか」

とゲンジの君が言うと、若紫は、

 「いやだ」

と頭を振って、そのまま赤くなってしまったら困ると心配している。ゲンジの君は、鼻をぬぐう真似をして、

 「あれ、色が落ちない。馬鹿ないたずらをしてしまった。ミカドに叱られるな」

と真面目な顔をして言う。騙されて可哀想に思う若紫は、隣に寄り添って鼻を拭くのだった。

 「平仲の物語みたいに、男の顔に墨を塗ってはいけませんよ。まだ赤い方がましだから」

と戯れ合っている姿は、本当に仲の良い夫婦にしか見えないのだった。のどかに晴れ渡っているが、だんだんと空が霞んでくる。森の梢は、花が待ち遠しく、梅の蕾がはち切れんばかりだ。車寄せに植えてある紅梅は、真っ先に花を咲かせるので、もう色が付いている。

 「くれないの花の想い出苦くても梅の姿がなつかしい頃

 まったく」

とゲンジの君は投げやりに一首詠むのだった。

 こんな女たちの運命が、どうなることやら。


(原文)
二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生ひにて、紅はかうなつかしきもありけりと見ゆるに、無紋の桜の細長なよらかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代の祖母君の御なごりにて、歯ぐろめもまだしかりけるを、ひきつくろはせたまへれば、眉のけざやかになりたるもうつくしうきよらなり。心から、などかかううき世を見あつかふらむ、かく心苦しきものをも見てゐたらで、と思しつつ、例の、もろともに雛遊びしたまふ。

 絵など描きて、色どりたまふ。よろづにをかしうすさび散らしたまひけり。我も描き添へたまふ。髪いと長き女を描きたまひて、鼻に紅をつけて見たまふに、形に描きても見まうきさましたり。わが御影の鏡台にうつれるが、いときよらなるを見たまひて、手づからこの紅花を描きつけ、にほはしてみたまふに、かくよき顔だに、さてまじれらむは見苦しかるべかりけり。姫君見て、いみじく笑ひたまふ。

 「まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」

とのたまへば、

 「うたてこそあらめ」

とて、さもや染みつかむと、あやふく思ひたまへり。そら拭ひをして、

 「さらにこそ白まね。用なきすさびわざなりや。内裏にいかにのたまはむとすらむ」

と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしと思して、寄りて拭ひたまへば、

 「平仲がやうに色どり添へたまふな。赤からむはあへなむ」

と戯れたまふさま、いとをかしき妹背と見えたまへり。日のいとうららかなるに、いつしかと、霞みわたれる梢どもの、心もとなき中にも、梅は気色ばみほほ笑みわたれる、とり分きて見ゆ。階隠のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。

 「紅の花ぞあやなくうとまるる梅の立ち技はなつかしけれど

 いでや」

と、あいなくうちうめかれたまふ。

 かかる人々の末々いかなりけむ。


(註釈)
1 細長
 ・幼年の衣装。小袿や小袖の上に来た。紫の上が模様のない細長を着ているのは、喪中のため。

2 平仲
 ・平貞文の字(あざな)である。平仲が硯に入った水で嘘泣きしたのを見破った。女は水入れの中に墨を入れておいた。それを知らずに平仲は、女を訪ねて、いつものように泣いて見せたところ、顔が黒くなったという話。

3 階隠
 ・階段の上に廂を作って車を寄せる場所のこと。