夕顔の帖 二 コレミツ、お隣を調べる

二 コレミツ、お隣を調べる

(現代語訳)
 「閑職の地方役人の家だそうです。主人は地方へ単身赴任しているそうで、若い遊び好きな妻がいるようですね。その姉妹たちが後宮に仕えているので出入りしているのだと言ってました。留守番の男でしたので、込み入ったことは知らないらしいのですが……」

とコレミツが報告する。「そうか。その女官たちだな。いい気になって馴れ馴れしい歌を」と、下流家庭の女だとは思うのだが、自分を光るゲンジと知ってちょっかいを出してきたと思えば、もう放っておけないのだった。これが女たらしというものなのである。懐からチリ紙を取り出して、別人の筆跡を装って書き付けた。

 近くならそうともわかる黄昏にふやけて見える夕顔の花

と花を手折らせた家来に持たせて渡した。まだ見たこともないゲンジの君だが、間違いなくそうだと思って見逃さず詠んだ歌に、何の返事もないまま時間だけが過ぎていったので、女はバツが悪い思いをしていたのだ。そんなときにわざとらしい返歌が届いたので、「どんな返事をしたら良いかしら」と調子に乗って相談するのだが、家来の方は「行儀の悪い女たちだ」と無視して帰ってしまった。

 前を行く灯りがうっすらと、ゲンジの君は消えるように出発した。コレミツの隣の家の跳ね上げられた扉は閉じられて、隙間から漏れる光が瀕死の螢のように儚い。

 目指す六条の家は植え込みや庭の様子も輝いていて、一般人の住宅とは違う。落ち着いた閑静な屋敷だ。何となく緊張するような微妙な空間で、ゲンジの君は夕顔の咲く家を思い出すわけもなかった。早朝、少し遅く目ざめると、ゲンジの君は日の出と一緒に帰った。その姿を見れば、人々が絶賛するのも仕方ないほど光り輝いている。

 この日も、ゲンジの君は夕顔が咲く跳ね上げ扉の家の前を通った。いつも通った路だけど、あの歌の一件があってから、「どんな女が住んでいるのだろうか?」と、通り過ぎる度にちらついて離れない。

 数日後、コレミツがやって来た。

 「病人がなかなか快復しないものでして、看病につきっきりになってしまって」

と言い訳してから、近寄って、

 「調査を仰せつかってから、隣のことを知っている者を呼び出して尋問したのですが、詳しいことは言わないもので……。どうやら、五月頃から非常に人目を気にして通っている男がいるようですが、その正体は家の者にもわからないように隠蔽さているようです。随時、私の家を仕切っている垣根の間から覗いているのですが、若い女たちの影がしきりに見えます。前掛けのようなものをしているので、きっと女主人がいるに違い有りませんよ。昨日の西日がたれ込む時間には、座って手紙を書く女の顔が美しく映っていました。考え事をしているようで、周りにいる女たちの中には泣いている者もいました」

と報告した。ゲンジの君は笑みを浮かべて、スケベ心に火が付いたようだ。コレミツは主人を見て思う。「女性関係に用心しなくてはいけない身分の人ではあるが、この若さと女たちを発情させる美貌があるのに、黙っているのは勿体ない。女たらしも致し方ない」と。ましてや女の方で見向きもしないような男でも、好きになったら仕方ない。当たって砕けろだ。

 「少しでも情報をと思いまして、タイミングを見計らって手紙を出してみたんです。すると手慣れた筆跡で返事が来ました。恋多い若き乙女がいるようですよ」

と、コレミツが言うと、

 「もっと攻めろ。このまま何も知らないのは淋しいからね」

とゲンジ君が発破をかける。雨の夜に話した、下流家庭の下の方の女だと笑われそうだが、こんな中から思いがけず上玉を掘り起こしたら素敵なことだと、ゲンジの君は思うのだった。


(原文)
 「揚名介なる人の家になんはべりける。男は田舎にまかりて、妻なん若く事好みて、はらからなど宮仕人にて来通ふ、と申す。くはしきことは、下人のえ知りはべらぬにやあらむ」

と、聞こゆ。さらば、その宮仕人ななり。したり顔にもの馴れて言へるかなと、めざましかるべき際にやあらんと、思せど、さして聞こえかかれる心の憎からず、過ぐしがたきぞ、例の、この方には重からぬ御心なめるかし。御畳紙に、いたうあらぬさまに書きかヘたまひて、

 寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔

ありつる御随身して遣はす。まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまヘる御側目を見すぐさでさしおどろかしけるを、答ヘたまはでほど経ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに聞こえむ」など、言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、随身は参りぬ。

 御前駆の松明ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀は下してけり。隙々より見ゆる灯の光、螢よりけにほのかにあはれなり。

 御心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまヘり。うちとけぬ御ありさまなどの、気色ことなるに、ありつる垣根思ほし出でらるべくもあらずかし。つとめて、すこし寝過ぐしたまひて、日さし出づるほどに出でたまふ。朝明の姿は、げに人のめできこえんもことわりなる御さまなりけり。

 今日もこの蔀の前渡りしたまふ。来し方も過ぎたまひけんわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、いかなる人の住み処ならんとは、往き来に御目とまりたまひけり。

 惟光、日ごろありて参れり。

 「わづらひはべる人、なほ弱げにはべれば、とかく見たまヘあつかひてなむ」

など聞こえて、近く参り寄りて聞こゆ。

 「仰せられし後なん、隣のこと知りてはべる者呼びて、問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。いと忍びて、五月のころほひよりものしたまふ人なんあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず、となん申す。時々中垣のかいま見しはべるに、げに若き女どもの透影見えはべり。褶だつものかごとばかりひきかけて、かしづく人はべるなめり。昨日、タ日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の顔こそ、いとよくはべりしか。もの思ヘるけはひして、ある人々も忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる」

と、聞こゆ。君うち笑みたまひて、知らばや、と思ほしたり。おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御齢のほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、すきたまはざらんも情なく、さうざうしかるべしかし。人の承け引かぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、好ましうおぼゆるものを、と思ひをり。

 「もし見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書きなれたる手して、口とく返りごとなどしはべりき。いと口惜しうはあらぬ若人どもなんはべるめる」

と、聞こゆれば、

 「なほ言ひよれ。尋ねよらではさうざうしかりなん」

と、のたまふ。かの下が下と人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり。


(注釈)
1 揚名介
 ・国司だけにある、有名無実職で、官位だけあり役務や報酬がない。

2 螢より
 ・夕されば螢よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき

3 褶
 ・【しびら】衣服の上から腰に巻く簡単な布。裳の代わりにする。下級の女房が身につけた。