若紫の帖 四 ゲンジの君、若紫を思って狂う
(現代語訳)
ゲンジの君は真っ先に後宮へと向かった。ミカドにここ数日の話をする。ミカドは「ずいぶんと窶れたね」と声を詰まらせている。聖の加持は目ぼしかったかどうか聞くので、ゲンジの君は詳しく説明した。
「やんごとない阿闍梨の器であろう。修行のしすぎで、出世の根回しどころではなかったのだな」
とミカドが感激する。そこへ義父の左大臣がやってきて、
「お迎えしたかったのですが、隠密のようでしたから余計なことは差し控えました。今日、明日は、安静になさいませ」
と言うや否や「すぐに送りましょう」と続けるので、ゲンジの君は「面倒な事になった」と思いつつも、拉致される羽目になってしまった。左大臣はゲンジの君を自分の車に詰め込んで、自分はお伴に縮こまる。ゲンジの君は身に余る扱いに、むしろバツが悪くて仕方がないのだった。
左大臣邸でもゲンジの君が収監されることを予想し、準備に抜かりがなかった。ゲンジの君が、すっかりご無沙汰していた間にも、屋敷はタマノウテナの如く磨き上げられ、万全の体制が整っていた。妻のアオイは当然ながら別室に潜伏しており、顔を合わせる気もないらしいのだった。左大臣が何とか説得して、しぶしぶ登場する。ただ絵巻物の姫君のように座って、微動だにせず硬直しているのだった。アオイが澄ました顔をしているので、ゲンジの君は、山での出来事を話してみるのだが、まだ絵の方がマシだと思う。とりつく島もないので、何か面白いことでも答えれば夫婦生活も営めそうだが、アオイは沈黙を決め込むので、気まずいだけなのだった。年々その兆候は強くなり、互いの溝が深くなるばかりなので、ゲンジの君は、阿呆らしくなってきて、
「たまには普通の夫婦らしくしてほしいね。私の闘病中にも、見舞い一つ無かったじゃないですか。今に始まったことでもないですけど、溜息も出ますよよ」
と言ってやった。アオイは一言、
「訪ねないのは、お辛くて?」
と冷ややかな目で見るばかり。そんなアオイは、後ずさりを覚えさせるほど綺麗だった。
「やっと口を開いたかと思ったら、毒舌ですか。訪ねないというのは、私たちのような夫婦には関係ない言葉ですよ。非道いことを言いますね。本当は私をバイ菌扱いするあなたに思い直してもらいたいと、色々と挑戦してみましたが、すべて裏目に出たようですね。負けました。命さえ長らえれば何とかなるでしょう」
とゲンジの君は寝室に立て籠もってしまった。アオイは相変わらず硬直したままだ。ゲンジの君は「何を言っても無駄だ」と思って、不貞寝をするのだが、沽券にかかわるのだろうか、疲れて眠そうな演技をして、「夫婦仲とは何ぞや」と考えていた。
ゲンジの君は、あの若草の少女が育っていく姿をこの目で見つづけたいと思った。尼君が、まだ結婚など考えられない年齢だと考えるのも当然である。こちらの提案は困難極まるが、いかなる手段を実行してでも、少女を引き取って、平坦な生活に起伏を作りたいと、ゲンジの君は思案した。「父親の兵部卿宮は貫禄があり、派手な男だが、美しさからは、かけ離れている。なぜ叔母君の藤壺女御に似ているのだろうか。やはり母親が同じだからだろうか」などと考える。そういう血縁の深さを思うと、ゲンジの君は、余計に辛抱ができなくなるのであった。
翌日、ゲンジの君は執念で手紙を書いた。僧都にも協力を要請し、尼君には、
「聞く耳を持っていただけなかったようで、私も尻込みをしてしまいました。この思いを全部、打ち明けられなかったことを無念に思い一筆したためました。何が私をここまでさせるのかを察していただければ幸いです」
と書いた。小さく結んだ紙は恋文なのである。
「面影を今も忘れず山桜 心のすべて置き去りにする
夜風が吹くだけで身悶えるのです」
と一首詠むのも忘れなかった。筆跡は言うまでもなく、そこから放たれるオーラがただ事でない。老人には刺激が強過ぎたみたいだ。「鳥肌が立つわ。何と返事をすればよいものかしら」と尼君は思案に暮れる。
「あの話は旅先でのお戯れかと思いまして、忘れておりました。こうしてお手紙を頂いて返答に窮しています。まだ、お稽古の『なにわづ』も最後まで書けない子供なのです。世迷い事と思われます。それでも、
嵐吹く山の桜が散るまでの心移りに儚さを知る
寄る辺ない関係でございます」
と尼君から返事があった。僧都からも似たようなことを言ってきたので、報われなさに数日後、コレミツを使者に飛ばす。
「少納言のメノトという女いただろう。その人をこちら側に取り込むんだ」
などと念押しする。コレミツは「何というド変態なんだろうか。まだ年端もいかない子供だったというのに」と、わずかに垣間見た少女の姿を思い出して、笑えてきた。
コレミツ朝臣が、手ずからの使者なので僧都は畏まってしまった。少納言のメノトに面会を申し込み、面談がはじまる。ゲンジの君が思い詰めていることや、日々の煩悶を詳細に説明する。饒舌なコレミツが話をでっち上げていると、周囲の人々は「あまりにも子供なのに、いったい何を考えているのかしら」と、気分が悪くなるのだった。ゲンジの君の手紙にも、執念がにじみ出ていて、お決まりの結んだ恋文がある。
「お稽古の文字でさえ、見てみたいのです」
とあり、
手習いの浅香山ならいざ知らず井戸の深さを人は知らない
と一首詠んであった。尼君の返しには、
汲んでみて初めてわかる山の井戸浅いと知っても影だけ映る
とあった。
コレミツが戻り、ゲンジの君に「玉砕しました」と報告する。
「尼君が小康状態になりましたら、都の屋敷に戻りますから、その際に正式に返答します」
とのことなので、ゲンジの君は前途多難だと思うのだった。
(原文)
君はまづ内裏に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。いといたう衰へにけりとて、ゆゆしと思しめしたり。聖の尊かりけることなど問はせたまふ。詳しう奏したまへば、
「阿闍梨などにもなるべきものにこそあなれ。行ひの労は積もりて、おほやけにしろしめされざりけること」
と、らうたがりのたまはせけり。大殿参りあひたまひて、
「御迎へにもと思ひたまへつれど、忍びたる御歩きに、いかがと、思ひ憚りてなむ。のどやかに一二日うち休みたまへ」
とて、「やがて御送り仕うまつらむ」と申したまへば、さしも思さねど、ひかされてまかでたまふ。わが御車に乗せたてまつりたまうて、みづからはひき入りて奉れり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。
殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉の台に磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。女君、例の、はひ隠れてとみにも出でたまはぬを、大臣せちに聞こえたまひて、からうじて渡りたまへり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、しすゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、思ふこともうちかすめ、山路の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしう答へたまはばこそあはれならめ、世には心もとけず、うとく恥づかしきものに思して、年の重なるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに、
「時々は世の常なる御気色を見ばや。たへがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」
と聞こえたまふ。からうじて、
「訪はぬはつらきものにやあらん」
と、後目に見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌なり。
「まれまれは、あさましの御言や。訪はぬなどいふ際は、ことにこそはべるなれ。心うくものたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし思しなほるをりもやと、とざまかうざまに試みきこゆるほど、いとど思ほしうとむなめりかし。よしや、命だに」
とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず。聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり。
この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、似げないほどと思へりしもことわりぞかし、言ひよりがたきことにもあるかな、いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見ん、兵部卿宮は、いとあてになまめいたまへれど、にほひやかになどもあらぬを、いかでかの一族におぼえたまふらむ、ひとつ后腹なればにや、など思す。ゆかりいと睦ましきに、いかでか、と深うおぼゆ。
またの日、御文奉れたまへり。僧都にもほのめかしたまふべし。尼上には、
「もて離れたりし御気色のつつましさに、思ひたまふるさまをも、えあらはしはてはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、おしなべたらぬ心ざしのほどを御覧じ知らば、いかにうれしう」
などあり。中に小さくひき結びて、
「面影は身をも離れず山ざくら心のかぎりとめて来しかど
夜の間の風もうしろめたくなむ」
などあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおしつつみたまへるさまも、さだ過ぎたる御目どもには、目もあやに好ましう見ゆ。あなかたはらいたや、いかが聞こえん、と思しわづらふ。
「ゆくての御ことは、なほざりにも思ひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、聞こえさせむ方なくなむ。まだ難波津をだにはかばかしうつづけはべらざめれば、かひなくなむ。さても、
嵐吹く尾上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ
いとどうしろめたう」
とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二三日ありて、惟光をぞ奉れたまふ。
「少納言の乳母といふ人あべし。尋ねて、くはしう語らへ」
などのたまひ知らす。さもかからぬ隈なき御心かな、さばかりいはけなげなりしけはひをと、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。
わざとかう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえたまふ。少納言に消息してあひたり。くはしく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひつづくれど、いとわりなき御ほどを、いかに思すにかと、ゆゆしうなむ誰も誰も思しける。御文にも、いとねむごろに書いたまひて、例の、中に
「かの御放ち書きなむ、なほ見たまへまほしき」
とて、
あさか山あさくも人を思はぬになど山の井のかけはなるらむ
御返し、
汲みそめてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき
惟光も同じことを聞こゆ。
「このわづらひたまふことよろしくは、このごろ過ぐして、京の殿に渡りたまひてなむ、聞こえさすべき」
とあるを、心もとなう思す。
(註釈)
1 訪はぬはつらきもの
・ことも尽き程はなけれど片時も訪はぬはるらきものにぞありける 「古今六帖」 君をいかで思はん人に忘らせてとはぬはつらきものとしらせん 『奥入所引』
2 命だに
・命だにかなふものならば何かは人を恨みしもせん 『奥入所引』
3 難波津
・古今和歌集仮名序の「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」(王仁の作と伝えられる)の歌で、次の「浅香山」の歌と同じく、手習いの最初に書く歌