2009-07-12から1日間の記事一覧

第二百五段

■ 原文比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて、起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代、この事流布したるなり。また、法令には、水火に穢れを立てず。入物には穢れ…

第二百四段

■ 原文犯人を笞にて打つ時は、拷器に寄せて結ひ附くるなり。拷器の様も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。 ■ 現代語訳変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊縛の作法につい…

第二百三段

■ 原文勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶え…

第二百二段

■ 原文十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。本文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。 この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その…

第二百一段

■ 原文退凡・下乗の卒都婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。 ■ 注釈1 退凡・下乗 ・インドの霊鷲山にあった二つの標識。霊鷲山は釈迦が説法をした遺跡。参照:霊鷲山 - Wikipedia 参照:下馬 (作法) - Wikipedia2 卒都婆 ・釈迦の誕生した涅槃の地に建て…

第二百段

■ 原文呉竹は葉細く、河竹は葉広し。御溝に近きは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。 ■ 注釈1 呉竹 ・中国から渡来したので「唐竹」とも言う。別名を「ハチク」。参照:ハチク - Wikipedia2 河竹 ・女竹、なよたけ、にがたけ。参照:メダケ…

第百九十九段

■ 原文横川行宣法印が申し侍りしは、「唐土は呂の国なり。律の音なし。和国は、単律の国にて、呂の音なし」と申しき。 ■ 注釈1 横川 ・比叡山延暦寺の三塔の一つ。真実の道を求める僧侶が隠遁して修業した。参照:延暦寺 - Wikipedia2 行宣法印 ・伝未詳。…

第百九十八段

■ 原文揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要略にあり。 ■ 注釈1 揚名介 ・名誉だけを目的とする官職。国務を司ることもない。参照:揚名介 - Wikipedia2 揚名目 ・地方における名誉官職。参照:揚名介 - Wikipedia3 政事要略 ・惟宗允亮の監修に…

第百九十七段

■ 原文諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事、延喜式に見えたり。すべて、数定まりたる公人の通号にこそ。 ■ 注釈1 定額の女孺 ・一定の定員数の意味で、平安時代以降、寺院に住む物で朝廷から生活保護を受ける定員を限った僧を定額僧と呼ぶ。女孺は…

第百九十六段

■ 原文東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿大将にて先を追はれけるを、土御門相国、「社頭にて、警蹕いかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。さて、後に仰せ…

第百九十五段

■ 原文或人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける…

第百九十四段

■ 原文達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。 例へば、或人の、世に虚言を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩はしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで…

第百九十三段

■ 原文くらき人の、人を測りて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと…