2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

第六十八段

■ 原文筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命…

第六十七段

■ 原文賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。人の常に言ひ粉へ侍れば、一年参りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚の、月をめで花を眺め…

第六十六段

■ 原文岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双を添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼、下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥付くる術、知り候はず。一枝に二つ付くる事も、存知し候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて…

第六十五段

■ 原文この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。 ■ 注釈1 冠(かむり) ・かんむり。参照:冠 - Wikipedia2 冠桶(かむりをけ) ・冠をしまう箱。 ■ 現代語訳近頃の冠と言えば、昔と比べ…

第六十四段

■ 原文「車の五緒は、必ず人によらず、程につけて、極むる官・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。 ■ 注釈1 車の五緒(くるまのいつゝを) ・牛車のスダレに、左右の紐と、中央の紐と、その間の紐を垂らした帯。その帯を装備した車。参照…

第六十三段

■ 原文後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや、盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことことしくなりにけり。一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、穏かならぬことなり。 ■ 注釈1 後七日(ごしちにち) ・一月八日から…

第六十二段

■ 原文延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、歪み文字とぞ君は覚ゆる恋しく思ひ参らせ給ふとなり。■ 注釈1 延政門院 ・後嵯峨上皇の皇女、悦子内親王。この話は悦子…

第六十一段

■ 原文御産の時、甑落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。下ざまより事起りて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。古き宝蔵の絵に、賎しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり…

第六十段

■ 原文真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、文をも読みけり。患ふ事あるには、七日・二七日など、療治とて籠り居て、思ふ…

第五十九段

■ 原文大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰しおきて」、「しかじかの事、人の嘲りやあらん。行末難なくしたゝめまうけて」、「年来もあればこそあ…

第五十六段

■ 原文久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞ…

第五十五段

■ 原文家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、…

第五十四段

■ 原文御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたゝめ入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて、紅葉散らしかけなど…

第五十八段

■ 原文「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさ…

第五十七段

■ 原文人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。 ■ 注釈1 歌物語 ・短歌にまつわる話。参照:歌物語 - Wikipedia ■ 現代…

第五十段

■ 原文応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて上りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見…

第四十九段

■ 原文老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし…

第四十八段

■ 原文光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさし入れて、罷り出でにけり。女房、「あな汚な。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごと…

第四十七段

■ 原文或人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻ひたる…

第四十六段

■ 原文柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。 ■ 注釈1 柳原 ・現在の京都市上京区柳原町。参照:上京区 - Wikipedia2 法印 ・学識、人徳の優れた僧に与えられる最高の称号。参照:法印 - Wikipedia…

第五十三段

■ 原文これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。しばしか…

第五十二段

■ 原文仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きし…

第五十一段

■ 原文亀山殿御池に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。さて、宇治の里人を召…

第四十五段

■ 原文公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。…

第四十四段

■ 原文あやしの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさび…

第四十三段

■ 原文春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げ…

第四十二段

■ 原文唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほ…

第四十一段

■ 原文五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。 かかる折に、向ひなる楝の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあ…

第四十段

■ 原文因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりれば、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。 ■ 注釈1 因幡国 ・現在の鳥取…

第三十九段

■ 原文或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかゞして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定な…