つれづれ草 下

第二百十三段

■ 原文御前の火炉に火を置く時は、火箸して挟む事なし。土器より直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。 八幡の御幸に、供奉の人、浄衣を着て、手にて炭をさゝれければ、或有職の人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦し…

第二百十二段

■ 原文秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。 ■ 現代語訳秋の月は、信じられないほど美しい。いつでも月は同じ物が浮かんでいると思って、区別をしない人は、何を考えている…

第二百十一段

■ 原文万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。…

第二百十段

■ 原文「喚子鳥は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集の長歌に、「霞立つ、長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通いて聞ゆ…

第二百九段

■ 原文人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻…

第二百八段

■ 原文経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて、二筋の中よりわなの頭を横様に引き出す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧正、解きて直させけり。「これは、この比様の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、…

第二百七段

■ 原文亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と…

第二百六段

■ 原文徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に、官人章兼が牛放れて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相…

第二百五段

■ 原文比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて、起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代、この事流布したるなり。また、法令には、水火に穢れを立てず。入物には穢れ…

第二百四段

■ 原文犯人を笞にて打つ時は、拷器に寄せて結ひ附くるなり。拷器の様も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。 ■ 現代語訳変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊縛の作法につい…

第二百三段

■ 原文勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶え…

第二百二段

■ 原文十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。本文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。 この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その…

第二百一段

■ 原文退凡・下乗の卒都婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。 ■ 注釈1 退凡・下乗 ・インドの霊鷲山にあった二つの標識。霊鷲山は釈迦が説法をした遺跡。参照:霊鷲山 - Wikipedia 参照:下馬 (作法) - Wikipedia2 卒都婆 ・釈迦の誕生した涅槃の地に建て…

第二百段

■ 原文呉竹は葉細く、河竹は葉広し。御溝に近きは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。 ■ 注釈1 呉竹 ・中国から渡来したので「唐竹」とも言う。別名を「ハチク」。参照:ハチク - Wikipedia2 河竹 ・女竹、なよたけ、にがたけ。参照:メダケ…

第百九十九段

■ 原文横川行宣法印が申し侍りしは、「唐土は呂の国なり。律の音なし。和国は、単律の国にて、呂の音なし」と申しき。 ■ 注釈1 横川 ・比叡山延暦寺の三塔の一つ。真実の道を求める僧侶が隠遁して修業した。参照:延暦寺 - Wikipedia2 行宣法印 ・伝未詳。…

第百九十八段

■ 原文揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要略にあり。 ■ 注釈1 揚名介 ・名誉だけを目的とする官職。国務を司ることもない。参照:揚名介 - Wikipedia2 揚名目 ・地方における名誉官職。参照:揚名介 - Wikipedia3 政事要略 ・惟宗允亮の監修に…

第百九十七段

■ 原文諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事、延喜式に見えたり。すべて、数定まりたる公人の通号にこそ。 ■ 注釈1 定額の女孺 ・一定の定員数の意味で、平安時代以降、寺院に住む物で朝廷から生活保護を受ける定員を限った僧を定額僧と呼ぶ。女孺は…

第百九十六段

■ 原文東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿大将にて先を追はれけるを、土御門相国、「社頭にて、警蹕いかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。さて、後に仰せ…

第百九十五段

■ 原文或人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける…

第百九十四段

■ 原文達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。 例へば、或人の、世に虚言を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩はしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで…

第百九十三段

■ 原文くらき人の、人を測りて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと…

第百九十二段

■ 原文神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。 ■ 現代語訳神様や仏様のへ参拝は、誰もお参りしないような日の夜がよい。

第百九十一段

■ 原文「夜に入りて、物の映えなし」といふ人、いと口をし。万のものの綺羅・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、ことそぎ、およすけたる姿にてもありなん。夜は、きらゝかに、花やかなる装束、いとよし。人の気色も、夜の火影ぞ、よきはよく、物…

第百九十段

■ 原文妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。殊なる事なき女をよしと思ひ定…

第百八十九段

■ 原文今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予て…

第百八十八段

■ 原文或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻に…

第百八十六段

■ 原文吉田と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先づよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡・鞍の具に危き事やあると見て、心に懸る事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘…

第百八十五段

■ 原文城陸奥守泰盛は、双なき馬乗りなりけり。馬を引き出させけるに、足を揃へて閾をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置き換へさせけり。また、足を伸べて閾に蹴当てぬれば、「これは鈍くして、過ちあるべし」とて、乗らざりけり…

第百八十四段

■ 原文相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるゝ事ありけるに、煤けたる明り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀して切り廻しつゝ張られければ、兄の城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、某男に張らせ候はん。さ…

第百八十三段

■ 原文人觝く牛をば角を截り、人喰ふ馬をば耳を截りて、その標とす。標を附けずして人を傷らせぬるは、主の咎なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の禁なり。 ■ 現代語訳人に突撃する牛は角を切り、人に噛みつく馬は耳を切り取って目印に…