つれづれ草 上

第百七段

■ 原文「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と…

第百六段

■ 原文高野証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖の馬を堀へ落してンげり。聖、いと腹悪しくとがめて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼に劣り、比丘尼より…

第百五段

■ 原文北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあ…

第百四段

■ 原文荒れたる宿の、人目なきに、女の憚る事ある比にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、下衆女の出でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内せ…

第百三段

■ 原文大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。 ■ 注釈1…

第百二段

■ 原文尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。近衛殿著陣し給ひける時、…

第百一段

■ 原文或人、任大臣の節会の内辨を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。極まりなき失礼なれでも、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣被きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びや…

第百段

■ 原文久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。 ■ 注釈1 久我相国 ・久我通光(くがみちみつ)。太政大臣。歌人として多くの勅撰和歌集に入集。参照:久我通光 - Wikipedia2 殿…

第九十九段

■ 原文堀川相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を…

第九十八段

■ 原文尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。一しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。一後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持経・…

第九十七段

■ 原文その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。 ■ 現代語訳その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体に…

第九十六段

■ 原文めなもみといふ草あり。くちばみに螫されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。 ■ 注釈1 めなもみ ・やぶたばこ。参照:http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%81%93…

第九十五段

■ 原文「箱のくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸に付け、表紙に付くる事、両説なれば、いづれも難なし。文の箱は、多くは右に付く。手箱には、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。 ■ 注釈1…

第九十四段

■ 原文常磐井相国、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面某は、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。勅書を、…

第九十三段

■ 原文「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。 これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主、まことに損ありといへども、また、大きなる利…

第九十二段

■ 原文或人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、始めの矢に等閑の心あり。毎度、たゞ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と云ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろ…

第九十一段

■ 原文赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚…

第九十段

■ 原文大納言法印の召使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、或時出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷りて候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻き合せて…

第八十九段

■ 原文「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞き…

第八十八段

■ 原文或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人「御相伝、浮ける事には侍らじなれども四条大納言撰ばれたものを、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、い…

第八十七段

■ 原文下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍りけるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ一度せさせよ…

第八十六段

■ 原文惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみ…

第八十五段

■ 原文人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しき…

第八十四段

■ 原文法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師…

第八十三段

■ 原文竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、珍しげなし。一上にて止みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相国の望みおはせざりけり。「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満…

第八十二段

■ 原文「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都が、「物…

第八十一段

■ 原文屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主のつたなく覚ゆるなり。大方、持てる調度にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品なく、見にくきさ…

第八十段

■ 原文人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵の道を立て、夷は、弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜み合へり。されど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮られぬべし。 法師のみにもあらず、上達部・殿上人・上…

第七十九段

■ 原文何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。よ…

第七十八段

■ 原文今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言ひ交し、目見合はせ、笑ひなどして、心…